
[バングラデシュ ブアプール発 2月9日 プロジェクト・マネジャー 渡辺 和雄]
毎日、何を食べているのか?と聞かれれば、一言で答えられる。
ダル・バードである。ダル(豆)スープとバード(米のご飯)。これが、日本でいえば味噌汁とご飯にあたるといっていい。おかずは、タルカリと呼ぶ。野菜や肉、魚を煮込んで、各種スパイスで味付けをする。これが、うまいかって。うまいのである。とても。
ここ、バングラデェッシュに来て、辛い食べ物にすっかりはまってしまったのだ。
でも、2ヶ月前、首都ダッカから、このプロジェクト事業地に移ったころは、そうではなかった。1日3食の辛い食べ物があわずに下痢状態。
ダッカで滞在していたホテルで入浴後、エアコンにあたって鼻風邪をひき、咳き込んでいた時期に事業地に来て、それに下痢が追いうちをかけた。トホホといいたいところだった。
夜中の1時くらいにパチリと目が開くやいなや、あわててトイレに駆け込み、○△×○△×--。下痢は、寝ていようがさめていようが、容赦なく襲ってくるのだった。
そのうちに、アレルギーが始まった。
食事中、顔や腕がはれぼったくなった。かと思うと、ジンマシンのような発疹や、コイン大のアレルギーが皮膚に浮きでて、痛かゆい。手と膝の下が特にひどい。顔は口のまわりだったり、右頬だったり、その時によって違う。
食べれば、でる。食べなければ、でない。だからといって、食べずに腹をすかせているわけにはいかない。辛い食べ物があわない、ということはよくわかっているのだ。
プロジェクト予定地は幹線道路沿いにあり、交通量は多いが、結構な田舎にあるため、外食できる場所がちかくにない(あったとしても、辛い食事には変わりはない)。
子供の時分から苦手なのだ、辛い食べ物が。外国で初めて仕事をしたのが15年前、信州の実家に連絡してふりかけなどの乾燥食品を送ってもらおうかと考えたのは今回がはじめてだ。
多分、これに慣れるのには1、2週間かかるだろう。この状態が今後、1、2週間も続くのかと思うと暗澹たる気分で、腕に浮きでたアレルギーを見つめた。
なぜ、その時1、2週間と思ったか。については、なんの根拠もない。
根拠がない証拠に、2日ほどでけろりと、その症状はおさまった。下痢はしばらく続いたものの、辛い食べ物が苦にならなくなった。
そうしてみると、辛さにも今回はしょっぱいとか、魚のダシがよくでていてスパイスと絶妙にマッチしているとか、その時々で異なる味があることがわかってきた。
齢40を過ぎて、思えば進歩といえば、そうもいえるかもしれなかった。
普段のおかず、タルカリは川や池の淡水魚と野菜のスープだ。日本の食卓にたいていのぼっていた味噌汁は煮干やかつ節でだしをとるが、実はこれは海産物を食事に取り入れる日本人の伝統的知恵でもあるのだが、魚を食べるという意味ではこのベンガル・フードも共通点がある。魚と野菜、香辛料がえもいわれぬ、うまさをひきだし、毎食ではないにしても、言葉がでないほど美味なときもある。
肉など食べなくとも、魚と野菜で栄養のバランスは充分にとれる。それをおかずに、米のご飯をとれば、カロリーも申し分ない。
わたしは、この国のスタッフ20人ほどとともに、地方政府の建物、日本でいえば町村役場の建物を借りて住んでおり、この地方に住んでいる料理人を雇っている。その料理人のつくるベンガル・フードによって、生まれて初めての辛い食の世界へわけ入ることになった。
いわば、ベンガルの料理人が水先案内人になり、未知の食の世界にいざなってくれたのである。
今朝は雨が降った。乾季から雨季への移行がはじまったのだろう。1週間まえには、寒くて日中でも上に6枚も重ね着し、ズボンと靴下を2枚づつはいていたのが、昨夜は半ズボンとTシャツで寝た。
雨は2時間ほどであがり、作業員と竹の資材を満載したトラックが仮設住宅の建設地に出発していった。
一雨ごとに暖かくなるのが日本の春先なら、バングラデェッシュはどうか。ここの冬はあっというまに、通り過ぎてゆくようだ。
などと書いているうちに、今日も朝からお皿に山盛りのご飯を平らげてしまいました。
ごちそうさま。
次回はバングラデェッシュの女性について。乞うご期待。
(2月9日)